本当の自分と優しい自分の心身医学

本当の自分を生きたい人、優しい自分を生きたい人の心身医学です。1948年生 神戸大学医学部大学院(内科)卒 専門 内科 心療内科

PK(受身のプライド) ー このやっかいなもの ー


PKと呼んでいるものがあります。パッシブなK、受け身のKという意味です。 自分の存在価値を、人に認めさそうとする自分や、プライドの高い自分、傲慢な自分を、Kと呼んでいますが、このように、はっきりとしたKの人は、日本人には、それほど多くはないでしょう。 むしろ、「私は、ただ、私の存在や価値を認めた上で、評価してほしいのです。 良く働く社員の1人だからではなく、夫だから、妻だから、子供だからではなく、私という存在を認めたうえで、評価や優しさがほしいのです。 誰でも良いのではなく、多数の中の1人ではなく、ちゃんと、私という存在を見てほしいのです。 決して、認めさそうなどとは思っていません。まして、認めないのなら、相手を倒してでも、認めさせるなどということは、夢にも思ったことはありません。」 大抵の方のお気持ちは、このようなものでしょうし、これは、ごく当たり前のことです。人間として、当然のことでしょう。
しかし、私という存在を認めたうえでということは、私は、価値ある存在でなければなりません。 私は、価値ある存在であるということを証明しなければなりません。しかも、一時ではなく、常に、証明し続けなくてはなりません。 これは、やはり、相手に、自分の存在価値を認めさそうということです。 言葉としては、謙虚に言っておられますから、Kとは思えないですし、ご本人も、Kだとは、全く思っておられない方が、殆どでしょう。 しかし、積極的に、認めさそうとしていないだけです。消極的な態度で、お願いをしているようであり、受身的ですが、やはり、Kです。 この受身的なKを、PKと呼んでいるのです。
「認めさせたい」というのはKですが、「認めて欲しい」というのは、Nですから、PKの方は、自分は、Nであると思っている方が多いです。 しかし、Nは、相手にあわせようとします。相手の考えていることを理解し、分からなければ学び、望んでいることをしようとします。簡単に言えば、犬になろうとします。評価や優しさがもらえるのなら、犬になることなど平気です。
もっともNの人は、自分では、犬になっているという感じはありません。人のためにしたり、人に合わせるのが、自然で嬉しいのです。犬と見えるのは、Kの人から見たことです。
PKは、自分を抑えることはありません。控えめであったとしても、皆とは違う自分を押し出し、自分が価値ある存在であることを認めさせようとします。 PKは、判断の基準は自分です。一見、従順なように見えますが、良く見ると、自分の考えで判断しています。皆と同じでは、埋没しますので、人よりは、少しでも良くできる自分を見せつけようとします。心の底では、犬になど絶対になれません。
PKは、大変わかりにくく、一見、おとなしく従順で、とても良い子のように見えますし、何よりも、本人が、Kだとは思っていませんので、発見が遅れます。 私が、Kのことを散々書いてり言ったりしていても、PK(パッシブ、受身のK)の人は、他人のことのように読んでおられることでしょう。 Kは、必ず、自滅すると、繰り返し言っていても、自分とは無関係のことと思っておられるでしょう。 しかし、PKもKです。競争であり、戦いであり、失敗は許されません。 常に、自分の価値を証明し続けることはできませんので、やがては、疲れ果て、自己否定、自己嫌悪に陥り、自滅していきます。
対人関係は、初めは、人当たりが良いので、皆から受け入れられますが、段々、独りよがりな面がでてきます。プライドの高さも、見え隠れします。やがては、一人ぼっちになっていきます。 PKの悩み、苦しみ、悲しさは、自分が否定されることです。無視され、ないがしろにされ、プライドが、傷つけられることです。 Nのように犬になっていれば、傷つけれられることもなく、人並みの評価や優しさはもらえるのですが、PKの欲しいものは、人並みのものではだめなのです。 こうして、自分の存在価値を主張しなければもらえたはずのものも、得られなく自滅していきます。
PKは、Kなのです。自滅のシナリオなのです。しかし、あいまいで、はっきりしないために、発見できないで、時間だけが過ぎていきます。その点から見れば、はっきりしたKよりも、やっかいなものです。 明確に、当てはめをして、はっきりとさせなければなりません。 なかなか難しそうですが、簡単な質問があります。Kではないと思っておられる方への質問です。 「あなたは、犬になれますか?」 なれないというのであれば、PKなのです。

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